2025年9月、前年に続く2度目の北極圏グリーンランドでの「Iceberg Hunting」(氷山撮影)は、現地での先住民イヌイットたちとの絆によって支えられ、いくつかの想像を超えた光景に出会っていく。前編に続く後編では、グリーンランドの旅の後半からアイスランドへ場所を変え「氷の物語」が紡がれていく。

WOOLRICHの「アークティックパーカ」で寒さを完全防御し、アイスランド フィヤトルスヨークトル氷河で撮影を続ける
北極圏グリーンランド、イルリサットを後にする数日前、ホームステイをさせてもらっていた家の主であるクリスチャンは、仲間とボートで南へ移動し、キャンプをしながらトナカイ狩りをしていた。その間、僕は定期便のボートに乗り、イルリサットの対岸100キロ先にあるディスコ島の町、ケケルタルスアクに渡り、地元の漁師の船をチャーターして、氷山ハンティングを行っていた。僕がイルリサットに戻ると、クリスチャンの奥さんのアネに電話があり、クリスチャンのボートのエンジンが帰りの途中で故障して、南のフィヨルドの港で動けなくなっていると知らされた。すぐに、息子のミカエルが別のボートで助けに行き、クリスチャンのボートを牽引して戻ってくることになった。次の日の夕方、イルリサットに無事戻った二人と顔を合わせて、僕は家族のように喜んだ。
翌日、クリスチャンが「昨日ボートで牽引されながら帰って来るときに、アイスフィヨルドの南側で、あなたが絶対に気に入る先が尖った高さのある氷山に出会った。明日それを撮りに行かないか?行くなら何時の光がベストか?」と僕に言葉をかけてくれた。僕はクリスチャンほど優しい男に合ったことはない。グリーンランドに住むイヌイットは総じて優しい心を持っているが、その中でもクリスチャンは特別だった。昨年初めてイルリサットに来たときも、彼に出会えただけでもこの旅に大きな価値があったと感じていた。
僕は「朝陽で撮りたい」と答える。翌日の早朝まだ暗いうちに、港からミカエルのボートで海へ出て、アイスフィヨルドのある南へ向かう。空が少しずつ黒からネイビーブルーに色を変え、太陽の上がる地平線上がオレンジ色の帯になって行く。数え切れない氷山が渋滞する中で、クリスチャンの見た氷山を発見するのは容易なことでは無かった。最悪見つからなくても、この貴重なボートトリップを無駄にしないよう、朝陽に照らされ金色に反射する氷山をいつもとは違う視点で撮影していった。そして、巨大な氷山が連なる一番南側に来ると、高くそびえた鋭い三角形の氷山を見つける。僕はクリスチャンに「あれじゃないか?」と声をかけるが、彼は違うと言う。それでも十分に撮るに値する氷山だと判断し、「もっと近づいてくれ」と彼に伝える。ボートはその氷山に近づき、スピードを徐行レベルにまで落とし、海面を滑るように進む。僕はアングルを変えながら次々にシャッターを切っていく。こんなとき自分は生け花を思い出す。生け花は角度を変えて撮影するとまったく別の表情を見せてくれる。氷山も同様で、一見して個性的なフォルムの氷山であればあるほど、反対側に回るとまったく別の個性的なフォルムが現れる。暫くして、その氷山のフォルムを反対側から確認できる位置にボートが滑り込むと「これだ!」とクリスチャンが叫ぶ。なるほど、クリスチャンが一昨日ここをボートで牽引されながら通ったときは、南から北に向かってこの氷山を発見している。最後の最後でついに探していた氷山に出会うことができた。なんという幸福なのかと、思わず手を合わせてしまう。同時に世の中、誰もが実感する分かりやすい幸福感よりも、他の人にとっては意味の分からない、その人しか実感できない幸福感を持っていることのほうが大切なのかも知れないと、ふと思ってしまった。


クリスチャンが見つけた氷山、同じ氷山を別の角度から撮影した2枚の写真
翌朝イルリサットを離れ、アイスランドに渡るという前日の夕方、荷物をまとめていると、窓の外でいつもより赤く染まっている空に気づいた。すぐに家を出て丘に登り太陽の沈む方向を見ると、僕が生まれてから見た夕陽の中で、もっとも赤く、彩度の高い夕陽が空を染めていた。家に戻り急いで機材をまとめ、借りていた三菱ランサーに乗って夕陽の沈む岬へ向かった。途中で車を駐車して、カメラバッグを背負い、イルリサット・アイスフィヨルドのトレイルコースを岬の先端まで登った。赤く染まった空は上空のネイビーブルーの雲に押し寄せられながら水平線上で帯状になり、やがてピンク色に変化していく。手前の海上に浮かぶ巨大な氷山たちは空の色を受けてネイビーブルーに染まり、夕陽を受けた面だけがピンク色に輝いていた。
グリーンランド最後の撮影で、また新しい色を纏った氷山に出会えたことが嬉しかった。撮影を終えた頃には、辺りは暗闇になろうとしていた。急いで出てきたためにいつもカメラバッグに入れている懐中電灯は無く、iPhoneのライトを頼りに暗い岩山を降りて行く。トレイルコースを示すためのところどころにペンキで岩に書かれた黄色いドットも見失っていた。トレイルコースから外れたことで、少し心細くなりながらも、遠くに見える町の明かりを目印に、車を停めた場所を目指した。
気温も大分下がっていたが、アークティックパーカのおかげで、寒さを感じたのは顔だけだった。頑丈なアークティックパーカのシェルは、ラフに担いだ三脚を肩で受け止めてくれていた。とりあえず、自分が歩く方向を信じて、ひたすら岩場を下っていくと、左側に何かが赤く光っている気配を感じた。横を見ると大きな岩の谷間が開けていて、その奥から想像すらしなかった強烈な光景が目に飛び込んできた。黒い雲と水平線の間で、消滅する寸前の赤い夕陽が細く帯状に光り、その手前に無数の十字架がシルエットになって浮かび上がっていたのだ。そこは19世紀末から20世紀初頭にかけて使用されていた町で最も古い墓地で、原住民であるイヌイットのお墓が約400基並んでいる。瞬間的に、自分と同じモンゴロイドであるイヌイットの先祖が、僕を導いてくれたと感じた。その墓地へ行く道は車を停めた場所とつながっているのを知っていたので、僕は墓地に向かい「いろいろ、ありがとうございます」とお祈りを捧げ、無事に車へ辿り着いた。その後、ケケルタルスアクを一緒に訪れたイヌイットの友人に家に寄り、別れを告げ、また来年も来ると約束をした。



2025年9月20日、僕はアイスランドに降り立つ。当初の予定ではアイスランドは日本に戻るためのトランジットとして経由するだけだった。しかし、日本を発つ前に、グリーンランド/イルリサット発、アイスランド/ケフラヴィーク着の便が欠航となり、代わりの便が数日早まったことで、アイスランドに6日間滞在することになった。昨年、イルリサットを立って経由地のコペンハーゲンへ向かう飛行機は、見事なまでに晴れたアイスランドの上空を飛び、北から南まで島の表情をしっかりと見せてくれていた。まるで別の惑星のような変化に富んだ地形は、僕をアイスランドに惹き付けていた。今回の予定外のアイスランド滞在を、またしても「呼ばれた」と自分に都合良く解釈をして、レンタカーで車中泊をしながらアイスランドを撮影することにしていた。アイスランドは、最終氷期が終了したおよそ1万年前までは、現在のグリーンランドと同じく、島全体が氷床に覆われていた。そのため、一部には氷床が残り、氷河も間近にみることができる。氷河が削った地形はバラエティーに富み、ダイナミックな滝や渓谷などが至る所にあり、6日間では到底回りきれないため、自分は氷河をターゲットに定めて南エリアで撮影を進めることにした。アイスランドに到着した翌日はガイドと一緒に、3週間前に発見されたというアイスケーブ(氷の洞窟)に潜入した。アイスケーブは氷河脇に流れ込む小さな滝の水が氷を溶かし、長時間かけて広がっていった氷の洞窟だ。アイスケーブに入っていくときは、氷河の内臓に潜り込むような気分で、内部はまるで母体の中のいるような不思議な安堵感を感じた。アイスケーブに流れる滝の音の聞きながら、外の光を透して濃いブルーに発光する氷の壁や天井を写真で切り取った。
アイスランドでは見た氷河は、グリーランドの氷河と比べるとすでに活発期を過ぎた感もあり、ところどころに火山島の岩を削った黒い砂の縁取りも見られ、長い寿命を全うする前の老人のようにも感じた。これは見劣りするという意味でなく、人間と同じく味わい深い表情を持っていると同時に、グリーンランドのように時に人を寄せ付けないような険しさが薄れ、人に歩み寄ってくれているような穏やかで平和な雰囲気も纏っていた。「北にあるグリーンランドは氷が頑張って大地を覆っている島。一方、その南にあるアイスランドは氷が溶けて絶景が露わになった島。」そんなイメージが頭をよぎる。もし、人間がこのまま今と同じ文明活動を行っていれば、いつかはグリーンランドの氷床がなくなり、アイスランドのように大地が剥き出しになってしまうのかも知れない。ここで一つ意識したいのが、アイスランドが大地を見せた時代の気候変動と、今起こっている気候変動とでは、その理由も変化のスピードが根本的に違うということだ。今起こっている気候変動は人間が排出する温暖化ガスによるもので、その変化は、過去に無いあり得ない速さで進み、さらに加速し続けているということ。そして、化石燃料を燃やすことを止めてもすぐには収まらないということ。近年、人間はひたすら頂上を目指すような開発や発展を幸福として捉え、ブレーキを持たないまま現在まで来て、未だ頂上を目指している。一方で北極の氷を目の当たりにすると、それが行き過ぎている行為だということは明白に感じる。
そして、僕はこう考えている。人類は先人が編み出した過去のライフスタイルにすでに沢山の答えを持っている。例えばイヌイットは内燃機を持たない時代から、極寒の地で豊かな生活を送ってきた。つまり、これ以上、頂上を目指す必要はなく、むしろすこし下山して、穏やかに生活を送れる「高原」(人々が頂点を目指して競争をせずに、先人が築いた自然をリスペクトする平和で豊かな生活様式)へ戻ることのほうが、ずっと簡単で、皆が幸福を感じ、地球が大切にされるようになると。そして、そのことに人類が気づき、「高原」へ戻るまでの猶予を、北極の氷が自らを溶かしながら作ってくれているのだと、僕は改めて感じている。



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写真家、映像作家、VISION MAKER 株式会社MORE VSION tokyo 代表
プランナー、雑誌編集者を経て、1997年より写真家として活動を始める。
広告、ファッション、CDジャケットなど、ノンジャンルで、写真、映像制作に携わる。
2010年 写真集「Japanese」出版
2018年 新和文化雑誌「ぶ ー 江戸かぶく現代」創刊、編集長を務める。
2019年 革新的伝統芸能、音楽、アートを融合した「戸隠もののけ祭り」を主催
この「The Story of ICE」は Global Warming をテーマにした最新データと共に構成される写真集として2026年に出版予定。
使用カメラ FUJIFILM GFX100S II
Instagram @mitsuaki_koshizuka
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