イルリサット アイスフィヨルド
僕が北極圏グリーンランドに足を踏み入れるのは、昨年9月に続いて2回目になる。
東京でファッション、広告、ミュージシャンの撮影をする傍ら、本来、人が知るべき大切なことで、既存のメディアでは伝えていないことを写真で表現することが、写真家としてのミッションとしてあり、過去には日本の伝統文化などをモチーフにすることもあった。そんな中で僕がここ10年以上ずっと気になっていたのが北極だった。北極の温暖化は、僕らが生活する北半球中緯度エリアの3倍から4倍のスピードで進み、北極海の気温上昇が偏西風を蛇行させる。そのせいで、夏は高温・大雨・台風、冬は大雪など、僕らにとって不都合な自然現象が増えていくことは、20年前から一部のメディアでアナウンスされ、実際その通りになっている。一般的には平均気温の上昇率で語られる温暖化だが、僕が気になっていたのは日本の湿度の上昇と、北半球各地で年々増えている大規模な水害だった。「もしかして、北の氷が想像を超えるスピードで溶けて、地球上の水が増えているんじゃないか?」調べれば調べるほど僕の想定はデータとしてネット上にシェアされていた。そして2023年、耳を疑うニュースが僕の耳に届いた。「2050年夏に完全に無くなるとされていた北極海の海氷は、韓国とカナダの共同研究チームによって、過去40年の衛星データと気候モデルを再シミュレーションしたところ、氷の融解速度は過小評価されていて、実際には2030年夏ごろ、わずか5年後に北極海の海氷がすべて溶けて無くなる可能性がある」そのニュースは僕の北極への焦がれる思いを決定づけた。その夏のある夕方、千葉の海岸で犬の散歩をしていると、肌にまとわりつく湿気の中の水の分子からメッセージを受け取ったように感じた。その分子は北極の氷が溶けて生まれた分子のようで、あたかも氷の妖精が「あなた、北極へいらっしゃい」と僕を誘っているような錯覚を覚えたのだった。その場で、消えゆく氷を撮りに北極へ行く決心をした。
それから北極圏の地図を入手し、少ない情報と直感を頼りに訪れるポイントを決めた。
同時にメインの被写体は、地球が何万年もかけて生み出す偉大な氷の彫刻「氷山=Iceberg」と決めた。最終的に選んだポイントは、北半球で最も活発で巨大なヤコブスハブン氷河を有する北極圏グリーンランドのイルリサットという町。巨大な氷山が量産されているという情報を頼りに、2024年8月末、初めてその土地に足を踏み入れた。イルリサットに着くと、季節外れの雪があたり一面を真っ白に変えて僕を迎えてくれた。「やっぱり氷の妖精に呼ばれたんだ」と思い込み、心が浮き立ったのを忘れない。2024年のひと月の滞在は、僕を助けてくれた原住民のイヌイットたちとの出会い、圧倒的に巨大で個性的な氷山との出会いなど、様々な出会いに恵まれ、すべてが予定通りに進んだ。海の上では、まるで壮大な宇宙の中にいるような感覚で、心が踊る思いでシャッターを切った。そして今年も、ほぼ同時期の9月に再びイルリサットに渡った。

1972年に廃村になり、当時の住居をそのまま残す。
ディスコ島のクリサット。

焚き火をしながら撮影した歪んだ満月と氷山
2025年9月6日 小型旅客機でイルリサット空港に降り立つ。今年の夏は温暖化の影響か、雨と霧の日が多かったらしい。到着した日も小雨のぱらつく曇り空だった。この時期(夏の終わり)の現地の気温は、日本の真冬と変わらない。寝泊まりは去年に引き続き、今年73歳になる原住民イヌイットのクリスチャンの家にホームステイさせてもらうことになっていた。丘の上にある彼の家から、眼下に広がるディスコ湾に漂う氷山を双眼鏡で見定めながら、風と天気を見計らって、彼の操縦するボートに乗り、“Seal(アザラシ) Hunting” ならぬ “Iceberg Hunting” をするのが、氷山撮影の僕のスタイルだ。
着いて早々、クリスチャンから「明日からQullissat(クリサット)に行くから一緒にどうだ?」と誘いを受けた。クリサットはイルリサットに面するディスコ湾の対岸、ディスコ島にある廃村で、クリスチャンの生まれ故郷でもある。1924年に炭鉱の町として設立され、1972年に鉱山が閉鎖されるとほぼ同時に廃村となり、住民は移住した。その後も一部の家はサマーハウスとして利用され、クリスチャンも夏に数回、メンテナンスを兼ねて生家を訪れている。去年は2回ほど、それぞれ数時間その廃村を訪れた。ディスコ湾が狭まる海峡を前に、砂浜から始まる斜面に転々と残る廃墟が醸し出すムードは、今まで訪れたどこにも似ていない異世界だった。それでいながら、眼前の海は湖のように穏やかで、去年来たときに「ここでキャンプをしたい」と思っていた場所でもあった。今年はテント一式を持ち込んでいたので、ひとりテントで夜を明かすことにした。クリスチャンと奥さんのアネ、そして二人の友人とラム肉を食べた後、ひとり海岸に戻る。廃墟から出た廃材を焚き木にして(ものすごく贅沢)、海に浮かぶ満月と氷山を眺めながら、氷山を砕いた氷でジンロック(これもまた贅沢)を飲んだ。ひとりきりなのに、最高に幸せを感じた時間だった。
翌朝6時頃、目が覚めてテントから顔を出すと、信じられない光景が遠くに現れていた。
岸から2キロほど先に、昨日は存在しなかったマリア像のような存在感を放つ巨大な氷山が、こちらに向けてオーラを放っていたのだ。2023年に僕を北極へ呼んだ氷の妖精が、ついに姿を現したような感覚に陥り、言葉を失った。


テント泊した翌朝に氷の女神とも思える氷山は、その日午後にかけてゆっくり自分に近づき(距離500m)、自分の持っていたメインレンズの構図に収まるとまた、元あった場所に引き下がっていった。
今回グリーンランドで着用したアウターは、WOOLRICHの「アークティックパーカ」。1830年創業、アメリカ最古のアウトドアブランドであるWOOLRICHが、1972年にアメリカ政府からの依頼を受けて、マイナス40℃にも及ぶアラスカ・パイプライン建設現場での作業用ウェアとして誕生したのが、この「アークティックパーカ」だ。タイムレスなデザインを継承しながらもアップデートを重ねた最新モデルは、今回の撮影シーンにおいてそのキャラクターを余すことなく発揮してくれた。


早朝の海上での撮影では、高速でボートを走らせながら、僕が撮りたいと思う氷山をひたすら探していく。夏の終わりの北極圏とはいえ、夜明け前のボートの高速移動では、強く冷たい風をダイレクトに受け、体感温度はマイナス10度を下回る。靴の中で足の指先が痛いほど冷えても、上半身はまったく寒さを感じなかった。それどころか、トレイルコースなどで岩の丘を登ったりすると体が温まり、前ジッパーを全開にして風を取り込むこともあった。RAMAR60/40クロスと呼ばれるアウターシェルは非常に頑丈で、相当ハードな扱いをしても裂けて羽毛が飛び出すような心配がなく、一般的なダウンジャケットのように気を使う必要がないのも撮影には向いていた。ここまでは想定内だったが、その先にある優れた機能性については、正直、想像を超えていた。アークティックパーカには外側上部にハンドウォーマーポケット、下部に大容量の2つのポケット、そして内側にも2つの大きなポケットが備えられている。ハンドウォーマーポケットの内側は保温性の高いフリース素材で、冷えた手を入れると間もなく体温を取り戻してくれた。

陸上での撮影シーンでは、10キロ以上ある大型のカメラバッグを背負って移動することが多い。ターゲットとなる氷山が定まるとバッグを地面に置き、身軽な状態で周囲を歩き回りながらベストアングルを探る。その際、手にはメインカメラをホールドしつつ、いつでも撮れる状態でいながら、換えのレンズやドローン本体、送信機など、必要最小限の機材を大型ポケットごとに分けて収納・持ち運ぶことができた。東京での撮影ならアシスタントが持ってくれるような周辺機材を、自分の体に装着して移動できること――それはまさに「アークティックパーカ」がもたらす大きな恩恵だった。


一言で表現すれば「頑丈な保温性」。飽きのこないデザインの「アークティックパーカ」はスーツなどのアウターとして合わせても、上品かつワイルドにスタイルを完成させてくれるだろう。東京の冬ならロンT×「アークティックパーカ」もアリなスタイルかも知れない。
イルリサットを訪れると、アイスフィヨルド・センターの館長や地元ジャーナリストに何度もインタビューを重ねた。グリーンランドの気候変動について、その変化を最も強く感じた年として、多くの人が1997年と1998年を口にする。グリーンランドは内陸部を氷床に覆われているため、町から町への移動は、夏はボート、冬は海氷の上を犬ぞりかスノーモービルで渡っていた。しかし、1997年以降、海氷が極端に薄くなり、犬ぞりやスノーモービルでの移動が困難になってしまっている。そして90年代後半を境に、北極の氷の融解はスピードを増し、海水温も気温も上昇が止まらない。
イルリサット・アイスフィヨルドには、東京ドームよりもはるかに大きい氷山から、手のひらほどの氷片まで、無数の氷が渋滞している。その理由のひとつは、80キロ上流にあるヤコブスハブン氷河の活動が非常に活発で、年間およそ350億トンもの氷が氷河から生み出されていること。もうひとつは、ユネスコ世界遺産にも登録されているアイスフィヨルドの河口で、大きな氷山が海底に接触してスタックし、連なってダムのように後続の氷山の流れをせき止めていることだ。イヌイットの話によると、満潮となる満月の夜、上流から吹く強い風によって、せき止められていた氷山が一気にディスコ湾へと放出されることがあるという。その壮大で、ストレンジで、そして激しくも美しい光景に、いつか立ち会ってみたいと思う。
氷山の渋滞を見渡せる岩山の丘の上に立つと、上流から吹きつける氷の冷気を帯びた風が、寒さの中のさらに深い寒さを感じさせてくる。そんなとき僕は、北極の氷は地球全体における巨大なクーラーのような存在なのではないかと感じる。文明の発達と急激な人口増加が重なり、化石燃料を燃やすことで成り立っている現在の生活。ブレーキを失ったその生活は、CO₂の増加によって温室効果を高め、太陽の熱エネルギーを地上にどんどん溜め込んでいる。そんな中で自らを溶かしながら、温暖化に少なからずブレーキをかけてくれている北極の氷達。もし北極に氷がなければ、温暖化のスピードはもっとずっと早く進み、人間はもう対応できなくなるかもしれない。そう思うと、北極に氷があるおかげで、人は少しずつ、本当に大切なことに気づき、未来へ向けて価値観をパラダイムシフトさせていくための猶予をもらっているのだと思う。僕はそう感じ、北極の氷に人格のようなものを見出し、愛おしささえ覚える。氷床、氷河の果てとして存在する氷山――芸術の域を遥かに超えている個性的なフォルムと発光を見せてくれる氷山との出会い、僕はその証として氷の写真を撮っている。



この投稿をInstagramで見る
写真家、映像作家、VISION MAKER 株式会社MORE VSION tokyo 代表
プランナー、雑誌編集者を経て、1997年より写真家として活動を始める。
広告、ファッション、CDジャケットなど、ノンジャンルで、写真、映像制作に携わる。
2010年 写真集「Japanese」出版
2018年 新和文化雑誌「ぶ ー 江戸かぶく現代」創刊、編集長を務める。
2019年 革新的伝統芸能、音楽、アートを融合した「戸隠もののけ祭り」を主催
この「The Story of ICE」は Global Warming をテーマにした最新データと共に構成される写真集として2026年に出版予定。
使用カメラ FUJIFILM GFX100S II
Instagram @mitsuaki_koshizuka
Website morevisiontokyo.com